【歴史】音を楽しまない音楽!? グレゴリオ聖歌
by Dan Edwards
みなさん、音楽、楽しんでますか?
楽器や歌をやってる人からすれば、音楽は「自己表現」「感動する」「気分をアゲる」ためにあるものだし、それがいわゆる音楽の力、というものだと僕も思います。
しかし中世ヨーロッパ(西暦1000年ごろ)では、音を楽しまないのが音楽でした。
「音を楽しまない音楽」というとなかなか矛盾に満ちた響きですが、これは当時主に信仰されていたキリスト教と関係があります。
中世ヨーロッパといえばクラシック音楽のルーツ。
現代の北欧メタルやV系バンドだけでなく、パンクロッカーが使う3コードですらクラシック音楽が起源なわけであります。
その起源にあたる音楽は、グレゴリオ聖歌です。
暗黒の中世ヨーロッパ
まずはグレゴリオ聖歌が歌われた背景についてです。
日本では、ドラクエとか異世界転生ものでおなじみの中世ヨーロッパですが、実は暗黒期とも呼ばれているほど停滞したものでした。
暮らしてる人のほとんどが農奴(一生農民)だし、ほとんどの人が読み書きできないし、正論言えば「魔女だ」とかいって火あぶりにするし、王様が自分の都合で戦争を起こすし、汚水を川に垂れ流しで水が汚すぎるから酒ぐらいしか飲むものがなかったし、伝染病で死にまくるし・・・・。
音楽界には、有望なロックミュージシャンは27歳で死ぬ説がありますが、当時はその年齢で死ぬのが普通だったのです。
中世のキリスト教
そんな世知辛い中世では、キリスト教が信仰されていました。
キリスト教というと・・・・
「なんかやたら『わが主よ!』とか言ってる神父」
「清貧で慈愛に満ちたシスター」
「独特なヘアスタイルのザビエルさん」
「分厚い聖書」
ですが、その教えを簡単にいうと・・・
「世界最後の日が近いので、聖書に書いてある正しいことをしましょう。そうすると天国にいけます」
というものです。いわゆる最後の審判というやつです。
当時の王様たちは、キリスト教の「正しいこと」というモラルを定着させ、国を統治しようとしたわけです。 *1
前述したとおり、中世ヨーロッパは混沌とした時代。
災害や病気、飢えで簡単に人が死ぬし、戦争が多発して国家間の情勢も不安定。
精神的にツラくなって新興宗教にハマる人が現代にもいますが、中世ヨーロッパの人々は「正しいことをすれば誰でも天国へいける」キリスト教に救いを求めたのです。
そんな迷える子羊たちのための音楽が、グレゴリオ聖歌だったのです。
グレゴリウス聖歌の特徴
グレゴリオ聖歌は500年頃、グレゴリウス1世によってつくられた、という言い伝えからその名がつけられています。
グレゴリオ聖歌の音楽的な特徴は
- 合唱で歌われる
- 3度でハモらない
でした。
合唱で歌われる
グレゴリオ聖歌は合唱で歌われました。
歌われた、といってもどちらかといえば呪文の詠唱みたいな側面が強く、簡単に言えば音階のある南無阿弥陀仏みたいなものだといえます。
3度でハモらない
音楽といえば「ハーモニー」。
クラシック音楽でも、フーガやカノンといった別のメロディを組み合わせるジャンルもありますが、その原型であるグレゴリオ聖歌のメロディはかつてはひとつでした。
時代が進むにつれて複数のメロディがつけられるようになっていくのですが、現代のハモりかたとは少し違ったものでした。
現代では「3度でハモる」という言葉がよく使われます。
3度はコードの構成音で使われるとき、響きが「明るい」か「暗い」かを左右する音程になります。つまり「感情的」なのです。
一方、グレゴリオ聖歌では5度や4度でハモるのが「正しい」と思われていました。
これは、中世の人々にとって音楽とは「神の秩序を表現するため」のものだったから、と言われています。
神の秩序
キリスト教の特徴のひとつに、論理的であることがあげられます。
これは古代ギリシアの影響を強く受けているためです。
ギリシア人といえば哲学や数学が得意というイメージどおり、この世界はどういった仕組みでなりたっているのかを日ごろから考えていました。「地球の円周はどのくらいなんだろう?」「物質ってなにでできてるんだろう?」「いい政治ってなんだ?」といったことを議論していたのです。弦の長さを半分にすると1オクターブ上の音が鳴るのを発見したのも彼らです。
そんなギリシア人の論理思考をとりいれたのがキリスト教でした。
キリスト教のアンチっていうのは初期からいて、「そもそも神っているの?」「偶像崇拝※1ダメっていうけど、イエスを信じるって偶像崇拝じゃん!」という反論があったのですが、これを(中身がどうであれ)理屈で説明したのがキリスト教でした。
この考え方は音楽にもあてはまります。
つまり「この世界には神がいる!」という証明をするため、「正しい音程」である4度や5度を使い、音楽を時に不安定にさせる「感情的な3度」を避けました。
完全無欠な神の世界において、人間の感情や情緒は余計なものだったのです。
とはいえ、時がたつにつれ3度は頻繁に使われるようになります。
しかし、「神の秩序を再現する音楽」を目指すコンセプトは何世紀にもわたって受け継がれていきます。
現代のメタラーが崇拝してやまないバッハにもその影響があります。
バッハの音楽は「聴いてもよくわからない」曲が多いのですが、彼は音楽を「楽しむ」ために曲を作っているわけではありません。グレゴリオ聖歌のように、「神の秩序」を表現するために、数学的に曲を作ったのです。
暗黒期ともよばれるほどに殺伐とした中世ヨーロッパ。
そんな時代に救いを求めた人々にとって、グレゴリオ聖歌は身近でありながら神の存在を感じさせてくれる音楽だったのです。
集まった信徒たちが、聖歌の響きに満たされた教会で、神への想いを馳せる・・・。
うん、教会ってライブハウスだ。
今日はこれでピリオド。
*1:政治的には、かけだしの王様が教会から「君が政治やってもいいよ」とお墨付きをもらうためでした。